最近のトラックバック

フォト

« 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その2) | トップページ | 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その4) »

2015年9月30日 (水)

『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その3)

では本題を急ごう。

私の拙い考えでは、おおよそ次の3つの要因が挙げられる。
その時代と、本人の置かれた環境、そして本人の資質や指向性である。


①時代
現在のように自己主張が当たり前に立派な個性とみなされ、自由奔放にふるまうことすらスタイル化されている時代と違い、『天地真理』がデビューした1970年代初頭、女性アイドルは男の目線で決められる宿命にあった。
しかも50年代や60年代と違って、いわゆるティーンと呼ばれた中高生や大学生に熱狂を持って迎えられる偶像でなければならなかった。
そのためには、否応なくあくまで愛らしく清楚で控え目なお人形のような女性像が求められたのである。

70年代のアイドル=ティーン男性の理想像ということだ。
今なら笑い話で済まされるが、当時のティーン達は自分の好きなアイドルはトイレに行かないと、固く信じていたフシがある(苦笑)。
そこには自己主張も個性の発揮も許されず、素直に微笑む無垢な女性像が好ましかった。

とすれば、他に指向性のあった『天地真理』(=斉藤真理;もともとはフォークソング志向であった)といえども、その流れに逆らってまでデビューする事は叶わなかったわけだ。

Amachimari3              https://www.youtube.com/watch?v=aUYDzzD1zUE&list=PLihB9LYV6yFQLTRYZhakbypEJYgmdU-Ny



ところが、時代はたった6~7年で激変してしまう。
『渡辺真知子』がデビューした1977年ごろになってくると、新三人娘(天地真理、小柳ルミ子、南沙織)が端緒をつけたアイドル路線は百花繚乱の趣を呈し、様々なアイドルが生まれる。
代表的なところでは、山口百恵、桜田淳子、森昌子の中3トリオであろう。
決定打はピンクレディーか。

それによって様々なアイドル路線に分岐し、アイドル路線は全盛期を迎えたものの、アイドル享受層の低年齢化にともなってアイドルの位置づけも変化してきた。
また歌謡曲へのニューミュージック系歌手の進出も著しくなった。
これはアイドル路線には飽き足らない、大人からの逆襲とも取れる。

だから『渡辺真知子』は、アイドルという枠に限定されることなく、自由に自分の歌を発表することが出来るようになったのである。
ニューミュージック志向でシンガーソングライターだった彼女には、願ったり叶ったりの状況が最初から用意されていたというわけである。
『天地真理』がやりたくても出来なかったスタイルを、デビュー当時からいとも簡単に当然のごとくやれたのは、このように時代の変化が大きい。

Watanabemachiko3             https://www.youtube.com/watch?v=R2vr0KwtgfE



②環境
70年代はアイドルがアイドルとして求められた時代であり、またビッグビジネスとして捉えられていた時代でもあった。
『天地真理』が所属したプロダクションは、当時最大手の渡辺プロ。
歌謡曲業界、アイドル業界を創造したともいえるこの最大手プロに所属したがゆえ、『天地真理』はビジネス最優先でこき使われることとなる。
あまり器用に立ち回れるとも思えないぽっと出の若い女性である。
魑魅魍魎の芸能界を泳ぎきれるほどの才覚も覚悟もなく、言われるがままに与えられた役割をこなすしかない。

Amachimari4             https://www.youtube.com/watch?v=RnfDem4gmes



同じ新三人娘の中でも、南沙織はそのような芸能界に嫌気がさしたか適応出来なかったかして、早々に引退と言う道を選んだ。
一方の小柳ルミ子は芸能界でトップを目指す道を選んだ。
小柳には芸能界に耐えるバイタリティーもしたたかさも備わっていたようだ。
中身はごく普通で平凡な娘であった『天地真理』には、周囲の状況からして南沙織の道は許されなかったのだろう。
あの類稀なる愛らしさや清楚さを醸し出す外観からして、ビジネスとしてのみ彼女を捉えていた周囲は引退や他のジャンルへの転向など許すわけもない。

さらに70年代は日本の歌謡曲が全盛を迎えた時代であり、突然彗星のように現れすぐに国民的アイドルとなった『天地真理』には、同業他社やライバル歌手からの妬みや足の引っ張り合いが想像を絶するほど多かったと思われる。
『天地真理』に関する当時囁かれた非常に多くの噂話は、他の歌手にはあまりなく、異常とすら言える誹謗中傷のオンパレードであった。




さてはて、左様にアゲインストな環境に置かれて、それでも精一杯頑張って国民的アイドルにまで駆け上がったのが『天地真理』だったのである。
過去全てのアイドルの中で子供用自転車にまでなったのは、『天地真理』とピンクレディーと仮面ライダーの3組しかいない。
これから見ても、全盛期の『天地真理』への熱狂ぶりが如何に凄まじかったかが分かる。

Amachimari5             https://www.youtube.com/watch?v=HRezKIpDTgI


予想外にかなり長くなってしまったので、予定を変更してここで一旦切り、2人の中で最も異なると思われる本人の資質や指向性に関する話は次回に論じることにする。

(その4に続く。)

« 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その2) | トップページ | 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その4) »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/525320/62377250

この記事へのトラックバック一覧です: 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その3):

« 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その2) | トップページ | 『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その4) »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ