『天地真理』はなぜ『渡辺真知子』になれなかったか?(その5・完結編)
『天地真理』はその声の質や本人の志向性からして、アイドル路線に入るべきではなかった。
歌っている曲を聴くとよく理解出来るのだが、彼女の声は顔に似合わず意外に低い。
アイドルらしからぬ、落ち着いた大人の声である。
だからこそ、アイドルとしてではなく、あくまでニューミュージックやフォークの範疇で地道に活動すべきであった。
そうすれば、精神を病むこともなく、外見もあそこまで変貌せずに順調に歳を重ねて行くことが出来たであろう。
それこそまさしく『渡辺真知子』が歩んでいる道であり、そして彼女は順調に相応に歳を重ね、今も全国狭しとコンサートに活躍している。
『天地真理』も…、いや斉藤真理もそうなる資格も素質も十二分にあったのに。
下に貼った「なごり雪」や「いちご白書をもう一度」を聴いても、単なるアイドルではない大人ッぽい声質や相当な巧さが分かる。
つくづく惜しいかな…。 https://www.youtube.com/watch?v=KB0Mik57ym0
https://www.youtube.com/watch?v=qC3a0IBoNnU
ということで、いきなりジャンル違いの『渡辺真知子』と同列に論じたので戸惑ったことであろうが、私がなぜ桜田淳子やピンクレディーではなく、あくまで『渡辺真知子』と対比したのか、真の意味するところがここにきて分かっていただけたのではないかと思う。
さて、『真理ちゃん』は『渡辺真知子』が逆立ちしても叶わないモノを持っている、と前回記事に書いた。
それは何か? https://www.youtube.com/watch?v=LfbZ63bByiQ
それは、血を分けた自分の子供の有無である。
『天地真理』は幸いにして1人お子さんを授かり、その子は今ではもう30歳近くの立派な女性に成長しているらしい。
そしてそのお嬢さんは『天地真理』のファンクラブ代表を務め、CDジャケットやコンサートなどの企画、構成などを担当しているのだという。
つまり、この母子にはしっかりしたコミュニケーションが存在しているといえよう。
『天地真理』は現実でも「ひとりじゃないの」である。
これはさぞかし頼もしい限りであろう。
そして彼女の孤独感や敗北感は、お嬢さんの存在によって大いに癒されるに違いない。
https://www.youtube.com/watch?v=aUYDzzD1zUE
一方の『渡辺真知子』は今のところ独身主義を貫いて、音楽最優先の人生を送っている。実質的な”夫”に相当する人は身近にいて秘密にしているのかもしれないが、とりあえず表向きは一人でいる。
どんな人間にも、さらなる老いは必ずやってくる。
その時、血を分けた子孫がおらず、肉親同士ならではのコミュニケーションが取れないのは、巨大なる孤独感をさらに深めるだけではないのだろうか?
しかし音楽にかける情熱と信念が強い彼女なら、そのような孤独もなんとか踏み越えてこのまま行くのだろうか?
まあ彼女自身が望んで今のような状態でいるのか、それとも子供だけは欲しかったのか、部外者には絶対に分からない。
だから、いるorいないだけで両者を単純に比較することは出来ないのは重々承知しているつもりだ。
とはいえ、さらなる老いを想像するにつけ、少なくとも私などにはその絶対的孤独には耐えられない気がする。
私は小市民的な生活とか肉親との緊密なふれあいこそが、この世の一番素晴らしい宝物だと思っている。
たぶん『真理ちゃん』はこの考えに近いのではないかと思う。
だからこそ全盛期の『天地真理』が歌って描いてみせた、小市民的で心優しくつつましやかな世界に、今も憧れ郷愁を感じるのであろう。
では、『天地真理』自身がベスト3に入れている曲「水色の恋」「虹をわたって」「ひとりじゃないの」から、彼女に最も相応しい「ひとりじゃないの」を以下に聴いて、この話をお終いにしよう。 https://www.youtube.com/watch?v=RnfDem4gmes
(この項、これにておしまい)
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